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Monday, November 1, 2021

イノウーの憂鬱 (63) インストルメンタリティ:Press Enter :エンジニアライフ - @IT

tahupedascabe.blogspot.com

 「社内SNS の話を友成さんから聞きました」ぼくは言った。「斉木さんがストップをかけてると」
 「そんな事実はないねえ」斉木室長はのんびりと答えた。「友成くんは理由を言った?」
 「システム開発室で開発を行わせる意向だと」
 「そんなことを、私がイノウーちゃんたちに相談もせずに進めるわけないじゃん。夏目さんがそう言わせたんじゃないの?」
 「そんなすぐバレるようなことを命令しますかね」
 「友成くんに訊いてみればわかるでしょ」
 「夏目さんが訊いたんですが、何も言わなかったそうです」ぼくは斉木室長と目を合わせた。「おかしくないですか?」
 「何が」
 「斉木さんがさっき言ったことです」
 ぼくは指摘した。斉木室長によれば、友成さんは夏目さんが踏んだ地面まで拝みかねないほど心酔している。その夏目さんに問われて、なお口を閉ざすのは奇妙だ。ましてや友成さんの証言で、尊敬する上司の名誉が回復できるという状況でもあるというのに。
 「誰にだって秘密にしておきたいことはあると思うけどね。イノウーちゃんの考えは?」
 「口止めされたんだと考えています」
 「誰に」
 ぼくは上長をじっと見つめた。その意味に気付いた斉木室長は低い声で笑った。
 「私? いやいや、夏目さんと友成さんの固い絆に私なんかが入り込む余地はないね。私が言ったって友成さんは聞かないよ。JV 準備室の責任者として業務上の命令を出すことはできるけど、それだけだよ、私の権限なんて」
 「プライベートな部分では別です」
 動揺か困惑か、それとも何か別の感情が斉木室長の顔に浮かんだ。斉木室長はペットボトルを口に運び、テーブルに戻したときには、元通りのつかみどころのない表情に戻っていた。
 「何か根拠があるのかな」
 ぼくは首を横に振った。何でも知ってる木名瀬さんにもわからなかった。大っぴらにはなっていないが、斉木室長は社内に独自の人脈を持っている。筋の通った推論の一つは、斉木室長が友成さんの弱点を掴み、それをネタにして友成さんに偽証を強要したというものだ。おそらく立証はできないだろうが。
 「どうしてそんなことをしなきゃならないのかねえ」
 「夏目さんの評価を落とすためじゃないんですか?」
 「確かに私は夏目さんが嫌いだし、会社に損失を与えない程度に失敗してくれれば嬉しいね。それは否定しない。でも友成さんが偽証したところで、せいぜいイノウーちゃんと木名瀬さんあたりに、不確実な疑惑を感じさせるぐらいじゃない」
 「想像でしかないんですが」ぼくは言った。「他の部署の人にも、何か別の方法で夏目さんの悪評をばらまいたんじゃないでしょうか。一つ一つは小さくても、塵も積もれば、というわけです」
 「たとえば?」
 「職域接種フォーム作成のとき、予定人数への接種ができなくなって、人数を絞り込む必要が出てきました。対象者を決める会議へ、ぼくを参加させるように言ったのは夏目さんだったそうです。そのときは気にしませんでしたが、後から考えるとちょっとおかしいんですよ」
 夏目課長の思惑は一貫している。自分がシステム開発室の管理者になることで、その功績を独占しようというものだ。特権ID 管理のミドルウェア導入を図ったり、おかしなコンサルを引き入れようとしたのも、夏目課長がリーダーシップを取ったという実績作りのためだろう。職域接種フォームのときも、大石部長の前でシステム開発室のスキル不足を立証しようと、無益で無駄なパフォーマンスを繰り広げている。プログラミングをわかっていない人が、実装レベルでの方針を決めようとするのは、どう考えても無謀でしかないのだが、夏目課長はプログラミングのような「下流工程」の管理など、自分の実力を持ってすれば、容易なことだ、と考えている。ダリオスのリニューアルで失敗したことは教訓になっていないらしい。
 「夏目さんとしては、システム開発室にあまりポイントを稼いでほしくないはずなんです。なのに、ぼくを参加させるのは矛盾してます。自分が参加しているなら、ぼくの発言を否定するとか、自分の有能さのアピールができますが、夏目さんは欠席でした」
 「確かに変だね。夏目さんは何を考えてたんだろうね」
 「ぼくはプログラマなので」ぼくは肩をすくめた。「きっと、プログラミング的な解決方法を提案すると思ったんじゃないでしょうか。乱数で対象者をピックアップするといったような。それは誰かに否定されるに決まってます。実際、されました。夏目さんは、これがプログラマの限界ね、とか何とか非難するつもりだったんじゃないですかね」
 「でも結局はイノウーちゃんのアナログなくじ引き案が採用されたね。夏目さんの思惑通りにはいかなかったわけだ」
 「夏目さんに、ぼくを参加させるように示唆した誰かがいたんですよ。その誰かの思惑は別だったんです。やはりぼくがプログラミング的な解決方法を提案すると考え、そんなぼくの参加を推薦した夏目課長のマイナスポイントにするつもりだったんではないでしょうか」
 「その誰かが、つまり私だと言いたい?」
 「そう考えています」
 「ふーむ、なるほどねえ」
 斉木室長はそう言っただけで肯定も否定もしなかったし、ぼくも期待していなかった。ぼくたちは申し合わせたように、それぞれが持参したドリンクを飲んだ。
 「それが事実だとすると」時計の秒針が一周した後、斉木室長は訊いた。「これまででも、チャンスはいくらでもあったはずなのに、どうしてここ最近になって、夏目さんへの攻撃が激化したんだろうね」
 「木名瀬さんが探ってくれました。まだ内示も出てない段階ですが、エースシステムとの人材交流プロジェクトが進行していて、ファーストステップとして、うちから2、3 名をエースシステムに出向させるらしいですね。夏目さんはその一人に名前が挙がっています」
 エースシステムと事業統合して以来、夏目課長が活動してきた成果だ。出向なので籍はマーズ・エージェンシーのままだが、夏目課長のことだ。これをキッカケにエースシステム内に席を置くために、なりふり構わない行動に出るだろう。実際に転職が成功したら、マーズ・エージェンシーに対して、大きな発言力を持つことになるかもしれない。斉木室長はそれを憂慮したのではないか、というのが木名瀬さんの推論だ。
 「確かにその話は知っていたけどね」斉木室長は認めた。「でも、知っていたのは私だけじゃないよ。部課長レベルでは、とっくに話題になってたからね」
 「でも夏目さんを嫌ってる、いえ、憎んでいる人にとっては、これ以上ないぐらいジャストなタイミングですよね」
 もし、夏目課長の悲願であるエースシステムへの足がかりが潰されれば、二度とチャンスは回ってこないだろう。それどころか、天国への階段を昇り始めた人間が地上に突き落とされたら、その絶望感は何十倍にもなるかもしれない。天国への夢など見なかった方がよかった、と運命を呪うことになる。エルロンドが言っているように、最初から三つの指輪などなかった方がよかっただろう、というわけだ。
 斉木室長は感心したように頷いた。
 「それで」斉木室長は言った。「イノウーちゃんは、私を非難しに来たのかな。義を見てせざるは勇なきなりってわけ?」
 「非難? いえいえ」ぼくは笑って手を振った。「そんなつもりは全然ありません。斉木さんが夏目さんを破滅させようと考えていたとしても、まあ、勝手にやってくれ、って感じです」
 「わからないなあ」斉木室長は本当に理解できないように首を傾げた。「だったら、この時間は何なのかな。もしかして、私を脅迫しようとか考えてるわけじゃないよね」
 「去年4 月の発足以来、いろんな人がシステム開発室を利用しようとしてきました。伊牟田さん、夏目さんはもちろん、営業もそうです。対等の同僚として力を貸してくれ、というのではなく、自分たちの利益のための道具としてです。この会社の、プログラマを下流工程として見る風土からすれば、それはやむを得ないことなのかもしれませんけど」
 「そうやってうちの会社は生きてきたからね」
 「そもそも、ぼくが転職してきたのは、菅井先輩に誘われたからです。当初の予定ではマネジメント三課でしたが、いろいろ紆余曲折があって、システム開発室になりました。当分、プログラミングを業務として行うことはなかったはずなのに、思いがけず、主業務になったんです。しかも発足したばかりで、実質的なプログラマはぼくしかいなかったので、言語やフレームワークなどの方針を自分の思うままに決めることができました。不安がなかったといえばウソになりますし、ぼく自身手探りだったところもありますが、それなりに成果は出せたのではないかと考えています」
 「それにはみんな感心してるよ」斉木室長は優しい声で言った。「イノウーちゃんがいたからこそ、システム開発室が生まれたと言っても過言じゃないからね」
 「今ではマリちゃんもJava やPython を少しずつ憶えてくれているし、ぼくもフロント技術を勉強しています。相互に知識を交換して、実業務に生かすという好循環がうまく軌道に乗り始めているんです。しかも、社内SE という立場なので、それほど納期や予算に縛られることなく開発ができるし、新しい技術を試す機会もふんだんにある。実装に携わってきた経験から言っても、かなり理想的な開発環境です。それを誰かの道具として使われたくはないんです」
 「私だってそれを願ってるつもりなんだけどね」斉木室長は笑った。「あまり口出しして来なかったでしょ。まあ、そんなスキルがないからでもあるけどさ」
 「それには感謝しています。でも、夏目さんがシステム開発室を利用しようとする意図に気付いていながら、それを黙認していましたよね。夏目さんの失点のために」
 「メンゴメンゴ」斉木室長は拝むように片手を挙げた。「そんなに怒らないでよ。結果的に実害はなかったからいいじゃん。それにさ、裏を返せば、夏目さんなんかに足をすくわれることなんかありえない、っていう信頼の証ってことだよ」
 「まだあります。以前からお願いしている増員の件って、どうなりました?」
 「え、なんか話が飛ぶなあ」斉木室長はまた笑った。「あれね。要望は出してるんだけどね......」
 「木名瀬さん経由で人事に訊いてもらったところ、そういう要望は出てないそうですが」
 「あれ、おかしいな。じゃあ、メールを送り忘れたかな」
 「評価の件もそうです」ぼくは続けて言った。「木名瀬さんはラインの管理者じゃないのでわからなかったそうですが、ぼくやマリちゃんの評価はB+ のままだったそうですね」
 評価基準はA 以上が昇進・昇格の対象となる。B ランクは現状維持が基本だ。
 「評価かあ。まあ、それは他部署との兼ね合いもあってね。二人の実績は認めてるんだけど。絶対評価が建前だけど、実態はそうじゃないんだよ。今期はこっちのA くんを昇格させるからB くんは次に回す、なんてことがざらにあるんだよね。それが続いただけ。悪意があって評価を下げてるみたいに言われるのは心外だなあ」
 「それでも積極的に推してくれたわけじゃないんですね」
 まだ入社年次が若いということもあり、自分ではそれほど気にしていたわけではない。気にしてくれたのは木名瀬さんだ。先日、夏目課長も同席したサイゼリアで、木名瀬さんは言ってくれた。
 「うちの会社の人事評価は、成果主義を標榜していながら、年功序列と信賞必罰が基本です。新卒採用の場合2 年目までは昇格規程に基づきますが、中途採用の場合は適用されません。イノウーくんとマリちゃんの場合、去年の実績は誰もが認めるところです。それなのに現状維持でした。私が疑問に感じ始めたのはそれからです」
 「それは私も思ってたのよ」夏目課長も補足した。「私が管理者やってたとき、斉木くんから上がってきた評価は......ちょっと数字は言えないんだけど、高いとは言えないものだったのよね。システム開発室自体の歴史が浅いから遠慮してるのか、他の部署と裏取引があったのか、そんなとこかと思ってたんだけど」
 「あたしも」マリも、そういえば、という顔になった。「もうちょっと上がるかな、と期待してたんですよね。まあ、こんなもんかって思ってましたけど」
 「それはつまり」ぼくは訊いた。「斉木さんがぼくたちを評価してないってことですか?」
 「実力を評価しているのは間違いないでしょうが、昇格を強く望んではいないのかもしれません」
 斉木室長はぼくの顔を見ながら言葉を選んでいるようだった。
 「そんなの気にしてたんだ。イノウーくんは、そういうことに興味がないのかと思ってたよ。それとも笠掛くんのためかな」
 「出世したいとは思ってませんが、自分の仕事は正当に評価してもらいたいです。それはマリちゃんも同じだと思いますよ」
 「これは私の意見ではないんだけど」斉木室長は躊躇いがちに言った。「プログラマはプログラミングだけさせておけば満足するだろう、という声があるのは確かなんだよね」
 「いくらなんでもそれは......」ぼくは苦笑した。「そりゃプログラミングは好きだし、ずっと続けていきたいとは思ってますけど」
 「そうそれ」斉木室長は得たりとばかりにぼくを指した。「うちの正社員は定期的に部署をローテーションしてくのが通例でしょ。でもシステム開発室については、そういう話はないんだよ。その代わり昇格スピードを緩めに設定する。そんな案が出てるんだ。イノウーちゃんはどう思う?」
 自分の質問から逸らされている気もするが、システム開発室の今後に関わることだ。ぼくは真剣に考えた。サラリーマンには付きもの異動がないのはありがたい話ではあるが、昇格が遅いということは収入がなかなか増えない、ということになる。以前に、まだ専務だった大竹社長が言った言葉を思い出さずにはいられなかった。他部門と比べて低い給与水準のままでいいのだろうか。
 「異動なしで、給与は他と同じ、とはいかないんですか」
 「システム開発室の発言力は、そんな特例を認めさせるほど高くはないんだよね」
 ぼくが考え込んでいると、斉木室長は助け船を出してくれた。
 「まあ、ここで決められることじゃないし、そういう話があるってことだけ頭に入れておいてくれればいいよ」
 「逆に」ぼくは訊いた。「斉木さんはどう考えてるんですか」
 「私?」片方の眉を跳ね上げて斉木室長は唸った。「そうだねえ。イノウーちゃんや笠掛くんが今の業務を続けていきたいなら、他と異なる昇格テーブルになるのも仕方がないと思うんだけど」
 「むしろ、それを今、やってるんじゃないですか?」
 「ん? イノウーちゃんや笠掛くんが、通常のペースで昇格しないよう調整しているんじゃないか、って言ってる? どうしてそんなことをする必要があるのかな」
 この会社でプログラマという職種を、誰よりも低く見ているのは、実は斉木室長なのではないか。木名瀬さんから話を聞いたときに心に浮かんだのが、その考えだった。そう口にすると、マリが理解に苦しむ、という顔で訊いた。
 「だったら、どうしてシステム開発室の室長なんか引き受けたんですか?」
 「わかる気がする」夏目課長が面白そうな顔で言った。「自分に都合がいい範囲に、システム開発室の成長を抑えておくためじゃないかしらね。それにはリーダーになるのが一番だから」
 「さすがによく理解してますね」木名瀬さんは微笑した。「同じことを考えただけあって」
 「皮肉はやめてよ。まあ、私ができなかったことを、斉木くんはやってるんだから適性があったのかもね。悔しいけど」
 夏目課長の推測が当たっていたとして、この考えをぶつけてみても斉木室長が認めるとは思えなかった。
 「さっき言われたように、システム開発室の発言力を低いままに維持しておくため、というのはどうですか。理由はご自分が使える便利なツールのままでいてもらいたいからです」
 そう言ってみたが、斉木室長はため息をついただけだった。
 「あー、なんだ。私のことをそんな目で見てたんだ。ちょっと残念だなあ。まあそれも私の不徳の致すところなのかな。今後に期待ってことでどうだろうね。私も開発部門の管理をするのは初めてなんでね。いろいろ手探りでやらざるを得ないんだよ」
 「期待していていいんですね」ぼくは念を押した。
 「逆に訊きたいんだけどね、イノウーちゃんならどうやって管理したらいいと思う? 参考までに教えてもらえないかな」
 「あくまでも個人的な意見ですが」ぼくは前置きして言った。「そもそも管理をしなければならないものなんでしょうか」
 「んん。こりゃまた突飛な意見だねえ。企業の部門である以上、誰かが管理をするのは当然じゃないかな」
 「プログラマはスペシャリストです。スペシャリストの管理をスペシャリストではない人がするのはおかしくないですか」
 「そうは言ってもねえ。それが日本企業ってものだから。IT システム管理課長がシステムの知識を持っていなくてもできるじゃない」
 「スペシャリストに対して仕事の途中経過など管理すべきではない」ぼくは引用した。「ディベートで、伊牟田さんが発言した言葉です。本気で言ったかどうかはともかく、この考え自体には賛成です」
 「今だって過剰な管理をしているわけじゃないよ」斉木室長は反論した。「技術的な方針については、ほとんどイノウーちゃんと笠掛くんに一任してるよね」
 「それは認めます。でも考えてみると、他部門からの依頼を、斉木さんはほとんどスルーパスしてますよね。もう少しフィルタリングしてもらえないですか。明らかに無理だと思うものは斉木さんが弾いてもらえると助かるんですが」
 「うーん、その判断ができるような知識がないからね」
 「JV 準備室でプログラミング学習を始めてますね」ぼくは思い出させた。「斉木さんが命令されたことです。でも斉木さん自身はやってませんよね。なぜですか」
 斉木室長は珍しく口ごもった。
 「ん、ああ、えーと......JV 準備室のあれこれで忙しいから......」
 「ぼくもそう思っていました。でも、もしかすると、単にプログラミングなんて下流の技術には興味がないだけかもしれないですね」
 「......」
 「いえ、ぼくの意見ではないですよ。でも他のJV 準備室のメンバーがふと疑問に思ったりするかもしれません。友成さんとか。もしかしたら伊牟田さんとか。問題になって大竹社長の耳に入る前に何か手を打った方がいいんじゃないですか。システム開発室の管理方法を見直すとか」
 「あまり関係ないと思うけどなあ」斉木室長は力なく笑った。「管理方法の見直しか......そう言われてもねえ。そもそもどうすればいいんだか」
 ぼくは少し考えてから言った。
 「エヴァ好きですよね?」
 ぼくの問いに、斉木室長はきょとんとした顔になった後、破顔した。
 「話が飛ぶねえ。そりゃ好きだけど。何、イノウーちゃんもとうとう特務機関ネルフ・マーズ・エージェンシー支部に入会する気になった? 特別に入会金は無料にしとくよ」
 「せっかくですが遠慮しておきます。エヴァに人類補完計画って出てくるじゃないですか。あれの元ネタって知ってます?」
 「えーと」斉木室長は首を傾げた。「なんかSF じゃなかったっけ」
 「コードウェイナー・スミスという作家の人類補完機構から取ったと言われています。確か1950 年代に書かれたSF シリーズです」
 「へえ、そうなんだ。よくそんな昔のSF を知ってるね」
 「指輪物語だけが愛読書というわけではないんです」
 ぼくは木名瀬さんの言葉で答えると、人類補完機構の概要を説明した。遠い未来、人類は一度、戦争で絶滅寸前に追い込まれた。人類補完機構は、二度目の絶滅を回避するためだけに結成された、巨大な権力と厳格な掟を持つ組織だ。
 「補完機構にはスローガンがあります。監視せよ、しかし統治するな。戦争を止めよ、しかし戦争をするな。保護せよ、しかし管理するな。そして何よりも、生き残れ!」
 「保護せよ、しかし管理するな、ね」斉木室長は繰り返した。「それをシステム開発室の管理に適用しろって? そんなの前代未聞だよ」
 「大竹社長は社員全員に幸せになってほしい、と仰いました。システム開発室も社員です。道具やツールではなく、感情もプライドもある人間なんです。管理を一切するな、とか、他部門より優遇しろとは言っていません。他の社員と同じレベルで社内に受け入れられるように尽力してほしいだけです。システム開発室が惰性ではなく、正しい意欲を持って生き残っていくために」
 「何よりも生き残れ、か」
 「それが望みです」
 斉木室長はしばらく沈思黙考した後、呟くように言った。
 「さっきの人類補完機構のシリーズの作者をもう一度、教えてもらえるかな」
 ぼくは作者名を口にしたが、斉木室長がメモしているのを見て、一応警告した。
 「マネジメントの話じゃないですよ」
 「うん、わかってる」斉木室長はペンを置いた。「これは単にエヴァファンとして興味があっただけ。他に何かある?」
 首を横に振ると、斉木室長は頷いて立ち上がった。
 「イノウーちゃんの言ったことは考えてみるよ。約束する」

 (続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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