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Tuesday, September 29, 2020

ナゴルノ・カラバフ紛争再燃 - JBpress

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ナゴルノ・カラバフ紛争とは何か、過去の経緯も交え考察

アゼルバイジャンの首都バクー

プロローグ/悪い予感

 80年前の9月27日は日独伊三国同盟調印日(於:ベルリン)です。何か予期せぬことが起きるのではないかと思っていましたら、やはり起きました。

 アゼルバイジャンとアルメニアの係争地、ナゴルノ・カラバフで大規模戦闘が再開されました。

 戦闘開始は現地時間2020年9月27日朝6時(モスクワ時間朝5時)前後。

 双方が双方を「先に戦闘開始した」と非難していますが、筆者はアゼルバイジャン側が満を持して侵攻したと推測しています。

 2016年4月2日の大規模戦闘開始もアゼルバイジャン側からの侵攻でした(この時は夜間戦闘ヘリを投入)。

 今回の前兆は、今年7月のトルコ・アゼルバイジャン軍の共同軍事演習です。

 新型コロナウイルス対策でロシアや欧州の動きが鈍っている間隙を縫って、トルコの後押しを受け、満を持して侵攻したものと筆者は推測します。

 トルコからは義勇軍(傭兵)も派遣されていると報じられています。

旧ソ連邦、民族問題表面化

 旧ソ連邦は15の民族名を冠する連邦構成共和国から成り、ソ連邦には160以上の民族が登録されていましたが、民族問題はほとんど表面化しませんでした。

 ところが1985年3月10日、K. チェルネンコ書記長が逝去(享年73歳)。

 翌11日にM.ゴルバチョフ政治局員(当時54歳)が書記長就任後に情報公開政策(グラースノスチ)を推進すると、それまで封印されていたパンドラの箱が開き、国内の民族問題が噴出しました。

 旧ソ連邦時代の1990年1月20日、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国(当時)の首都バクーとその近郊(スムガイト)でアゼル人とアルメニア人の民族対立が激化したことを口実として、治安維持の名目でソ連軍がバクーに侵攻、多数の死傷者が出ました。

 しかし民族対立激化は口実にすぎず、実際にはアゼルバイジャンの独立運動を鎮圧するのが真の目的でした。

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